2026年6月2日

表現手段を映画制作から写真に変えて27年少々が過ぎた。
映画学校を出てテレビカメラマンとして働きながら写真もやって、昔からカメラや撮影が好きな人だったんだなと思われることも多々ある。そりゃそうだ。
でも僕はカメラに道具以上の興味はないし、撮影は苦手というか不得意というか、ハッキリ言うと別に好きでもないし、撮影してても何も面白くない。
そんな写真家なんているのかと驚かれることが多いが、ふだん料理をしない調理師とか、本を読まない書店員とか、人見知りの接客業とか・・・写真を撮らないカメラ設計者もいたな。
仕事で用いる技術そのものが好きだからやってるって人は、職人的なことを除けば少ないでしょう。もし給料が1円も出なくても今の仕事をずっと続けられますか?だから写真撮影が好きじゃない写真家はあり得る。
面白くないのになぜ続けるか?それは子供の頃からいろいろな表現手法を試みて、もう自分には写真しか残されていないと感じているからだ。
カメラを構えるだけで、シャッター切るだけで、楽しい!そういう高揚感はよく分からない。自分の活動に必要な手段として黙々と写し続ける。
そういう時に写真という方法は大変良い。描いたり演奏したり踊ったり書き記したり、そんな手法がまともにできるようになるまでの苦労を思えば、写真はとても簡単かつ短時間でカタチにできる。
好きでもないから飽きない。面白くもないから悩まない。上手じゃないから自惚れない。下手だからがむしゃらに撮影する。
でもそういう活動スタイルにある程度の無理はあったようで、鬱病を患ってからカメラが持てなくなった。正確に言うと、カメラが怖い。これはもう絶対いままでの反動だろう。
でも活動を諦めるわけにはいかない。僕にとって活動をやめることは死ぬことであり、死なないためには写真を続けるという選択肢しかない。写真は面白くなくても切実なことなのだ。
そして撮影する道具をiPhoneのカメラに変えてそろそろ1年半ほど経つ。カメラは好きじゃないし怖いけど、iPhoneは電話だから平気。
ボケ方とか伸ばした時の画質とか、スマートホンのカメラと単体のカメラの性能の差で、スマホのカメラでも十分だよね~とかいうお気楽なことではなく、もうiPhoneのカメラしか使えねぇんだよ。
スマホで撮影するか死ぬかどっちか選べって言われたら、二度と単体のカメラが持てなくてもスマホにするでしょ?それで死ねるならホントのカメラ好きです。素晴らしいです。
いつかデジカメに戻る日は来るのかとか、そんなことを考える前に、目の前のものを写すんだよ。写真家だろ。
そう自分を奮い立たせて、人生は続く。