日々

いつもの「日々」がずっと続くわけでないことは分かっていても、ちょっとした病気のせいでいざそれを思い知らされてしまうと、すぐそこで待っていたかもし れない"もしも"のことが頭からこびりついて離れなくなり、病気から立ち直って以降の「日々」さえも死に損なったあとの消化試合のように思えてきます。そんな気持ちを抱えたまま、この4年間ほど写真を撮り続け、個展や写真集にして何度もまとめてきました。

まだ確かな物は掴めていませんが、「日々」というものは僕が生まれる前から「日々」として存在していて、僕がいつかこの世からいなくなってしまっても、そんなことはおかまいなしに「日々」は「日々」として続いていく…

そう考えると"この果てしない時の流れの片隅であなたはもう少しのあいだ「日々」を続けていてもいいんだよ"と、神様でも仏様でもない何か大きな存在から赦されたような気がしてくるのです。

近づく未来や遠ざかる現在や変わらない過去の中で、愛しいものも恐ろしいものも現れては消えていく…その全部を同じように受け入れて生きるっ!

そんな「日々」になったらいいなぁ・・・って。

2015年 ルーニィ247フォトグラフィー(東京・四谷)